『聖母』と『シンデレラの告白』を読みました

 

 『聖母』(秋吉 理香子 著)と『シンデレラの告白』(櫻部 由美子 著)を読みました。

 

 おかあさん強い、女の子強い、と思いながら昨日は寝たんですが、ふと思いました。

 「母親」って何でしょうね。

 

 

 いろいろな小説を読んでいると、たまに母親の口にするセリフが気になります。

 

「失礼ですけど貴女、結婚してらっしゃる? 子どもはいる?」

 

 この質問に「いいえ」と答えると、大抵の場合、「子どものいない貴女には分からないでしょうね」という言葉が返ってくるように感じます。

 

 反抗期を引きずっているので、わかんない! 子どもがいたらあなたの気持ちが分かるの? なんて登場人物に対して大人気ないことを思ってしまうわけですが、きっと、母とはそういうものなのだと勝手に想像しています。

 

 私は結婚も出産も経験のないことなので、伴侶や子に対する「無償の愛」というのが分かりません。

 見返りを求めない愛ってどういうものなんでしょうか。

 際限なく与える愛情に、いつか慣れが生まれて慢心してしまうのではないでしょうか。

 そうしたら、損してしまうのは自分のみならず、愛した相手も同様ではないでしょうか。

 

 どうしてか「無償の愛」というのが人を自堕落にさせてしまう甘い蜜に見えてしまいます。

 

 損なんてしないよ、だって愛は優しくて厳しいものだからという考え方もあると思います。

 無償の愛を与えた相手だって、同じように無償の愛を与えてくれるから大丈夫という考え方もあると思います。

 

 でも、愛って本当に、そんな両極端な性質を内包してるのでしょうか。

 相手のことを考えて厳しくするということは、誰もができることなのでしょうか。

 

 私は、もし自分の好意を吸い取るだけ吸い取って次の甘い蜜に移ってしまうような人を好きになったとして、相手が自分の元から去ってしまってから「ああ、よかった。あの人は幸せなんだわ」なんて穏やかな気持ちにはなれません。

 

 人によって持ち合わせている愛情の量みたいなものが違うのか、気持ちに余裕がないのか分かりませんが、誰かに十二分に尽くす自分というのが想像できません。

 

 でも、世の大半のお母さんたちは「我が子のためなら何でもできる」と「無償の愛」を注いでいると思います。

 

 つまるところ、その自分にはない無償の愛が羨ましいです。

 

 努力では手に入らないものでしょう。

 

 キラキラして見えて、とても魅力的です。

 

 もちろん私もその恩恵を受けて育ってきたわけですから、己の中に蓄積されてやしないかといつか愛情が爆発して存在をアピールする日を今か今かと待ち望んできたわけですが、もしかして、貰った愛情ってどっかにサラサラ流れてしまうんでしょうか。

 

 じゃあ、貰った分の愛情は、たとえ返さなくてもいいと言われたとしても返したい私の中に一切残っていないし、いくら待っても沸いて出てもくれないということでしょうか。

 

  私の母は私のせいで損をしてしまうのでしょうか。

 

 そこまで考えて頭がパーンしてしまったので、今日はここまでにしてやってください。

 

 おわり。